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プレスリリース

2009.12.10

第28期東京都青少年問題協議会答申素案に対する意見書を提出しました

MIAUは本日、意見募集が実施されていた第28期東京都青少年問題協議会答申素案「メディア社会が拡がる中での青少年の健全育成について」に対する意見書を提出いたしました。内容は、下記の通りです。

 

意見

今回の答申素案では、以下の個別指摘にもあるように、重要なポイントにおいて主張に根拠がないもの、認識不足のもの、事実誤認のものがある。東京都で行われる規制は日本のメディア産業及び情報通信産業の構造上、全国にその影響が及ぶため、そのような瑕疵は重大な問題である。したがって下記の指摘部分についてさらに1年程度調査検証を進め、もう一度新たな答申素案をパブリックコメントにかけるといった措置を求める。

また全体的に青少年の携帯電話利用に関する規制色が強く、情報リテラシー教育に関しての具体策がない。最終的に青少年が情報社会に生きていくことを前提に、どのようなスキルを身につけた大人になって欲しいのかのビジョンが必要である。

 

個別指摘

 

p.1

インターネット上等で入手が容易になった児童ポルノや、児童を性的な対象とするCGを利用したゲーム・漫画等の過激さは、目を背けたくなるほどである。保護者の積極的な売り込みの下に、水着姿の下半身を強調した写真集に出させられる少女もいる。さらに、これらの画像等は、一度インターネット上に載ってしまえば拡散することはあっても消し去ることは不可能に等しく、対象となった青少年は、撮影時のみならず、一生その辛苦にさいなまれることになるのである。

「はじめに」に書かれた内容がこの答申の前提となるのであれば、上記のような文章が含まれることは、あまりにも感情的になりすぎている。これでは答申の内容が、冷静な議論と分析の末に導かれた結論であるようには思えない。また全体的に「風潮」という主観的な表現が使われているが、これでは「程度」がわからず、実証性も欠き、論ずる根拠とはならない。

 

p.2

「デジタル・ネイティブ」が、大人を凌駕する知識と、デジタル社会ならではのコミュニケーションやルールを身につけるとしても、それが実社会でのコミュニケーションやルールと全く独立し、相容れないものであってよいはずがない。

上記の考え方には、実社会のコミュニケーションのあり方やルールもまた、デジタル社会の発展によって変化していくものであるという視点が欠落している。協議会がいかにして過去・現状の秩序を維持するかという視点しかないのであれば、未来の情報社会を築く青少年に対する方策を講じる団体として不適切である。

 

p.5

ケータイ依存・長時間利用等による健康被害、学力・コミュニケーション能力の低下

本文には健康被害、学力、コミュニケーション能力の低下に関する言及がなく、タイトルとして不適切である。

「無料でゲームやSNSの利用ができる」等と喧伝しているにもかかわらず、実際にはゲーム内のアイテムやアバター(チャットやネット掲示板上で自分を表すキャラクター)のパーツ等の購入のために多額の費用がかかるサイトも多く、非行の誘発には至らないまでも、親が「無料サイトだから」と安心して子どもの利用状況に注意を払わないでいるうちに、子どものサイト利用料が高額に上る事態を招いている。

アイテムが高額に成り得る可能性はあるが、追加アイテムなどが有料であることは示されており、基本的には双方の合意に基づく契約下で取引されるものである。したがって、携帯電話およびコンテンツ・サービスなどの欠陥ではなく、携帯電話の利用に関する教育の欠如が問題である。また、仮に個々のサービスの具体的な提供形態のなかで合意の確認や未成年者との契約締結に問題があるとしても、それは、消費者保護の枠組の中で消費者団体や消費者問題の専門家を交えた検討が行われるべきものであって、青少年問題協議会として扱うのが適切とは思われない。

 

p.6

携帯電話等についても、日常の子どもの帰宅確認のための連絡などに加え、事故・災害時の連絡やGPS(位置情報システム)等による位置確認など、青少年の安全・安心を守るツールとして活用されている。

青少年の健全育成に向けて、ケータイをポジティブに使う可能性の言及が少なくかつ曖昧で、論旨としてバランスを欠く。

 

p.16

しかし、中には、自分自身があまりネット・ケータイを使わず、関心がないなどの理由から、自分の子どものネット・ケータイ利用状況についても関心や危機感の薄い保護者も見られる。

確かにこういう保護者も居ないわけではないが、一番多いのは、自身がネット・ケータイを頻繁に利用しているにも関わらず、子どもの情報教育に関して無関心な保護者である。都の認識は、現役保護者世代の感覚から乖離した、非現実的なものとなっている恐れがある。

(ウ)講演会や勉強会に参加しない、参加できない保護者への対応

本文中には、「参加しない」タイプの保護者に対する取り組みが言及されていない。上記の指摘とも重なるが、こういう保護者に対する取り組みが一番の課題である。

 

p.22

また、登下校時の送り迎え時間の連絡手段や防犯上の理由として子どもに携帯電話等を持たせたいという保護者の要望もあるが、前者は通話機能に限定した携帯電話等の所持を認めることで解消できる問題であるのに対して、後者は地域の防犯と言う広い視点で対策を検討すべき事柄であり、整理して考える必要がある。

個人の防犯と地域の問題は、共通の利益を持つものの、性質の異なる問題である。広い視点での防犯対策を検討することをもって、保護者が子どもに防犯上の理由で携帯電話を持たせることに見直しを求めるのは間違いである。

不健全な行為を意図的に行う青少年に対しては、保護者を通じて勧告を与えるなど、注意喚起ができる仕組みを取り入れることを検討する。

例示された「不健全な行為」をどのように見つけるのかが明確でない。保護者が自分で見つけたのであれば、保護者が必要と思われる範囲で叱ればよい。しかし、生活空間上の行為から露見する場合は別として、ネット上で完結する行為から青少年を特定するとなると、違法とも言えない「迷惑」程度の行為に対して行為者を特定することとなり、現行のプロバイダ制限責任法と照らし合わせて、そのような情報開示請求が妥当であるのかは通信の秘密の観点から問題があると考えられる。

しかし、今後は、ネット・ケータイの書き込み等によって人を傷つけることがあり得ること、それがいかに悪いことであるのかということをまず認識させた上で、それを踏まえてメディアを利用する際に必要な自制心や判断力、思いやり、責任感などの規範意識を育てる「情報モラル教育」、ネット上の書き込みを簡単に信じてしまったり、無料サイトであると安心しているうちに多額の有料サービスを利用させられたりすることを防ぎ、批判的に情報を評価し、必要とする情報を識別する能力を養うための「メディア・リテラシー教育」について、子どもの発達段階や、ネット・ケータイへの接触状況に応じて、繰り返し実施することに主眼を置くべきである。

「ネット・ケータイの書き込み等によって人を傷つけることがあり得ること、それがいかに悪いことであるのかということ」という思考は、短絡的過ぎる。社会とは多くの人々が相互に批判しあい、そのことで社会秩序が保たれるものである。一方で、批判に傷つくことも当然あり得るが、批判すること自体が悪であるかのようなスタンスでは、責任感などの規範を育てることはできない。

 

p.23

(ア) 青少年にとって安全で安心な機能を備えた携帯電話等を都が推奨する制度を創設する。

多様な家庭の事情を考えると、この制度が強制力を持たないよう注意深く運用する必要がある。また子供用の携帯電話で必要な制限機能は、本来電話機固有の機能として保有するものではなく、変更・更新可能なソフトウェア(サービスプランやファームウェアなど)によって実現できるほうが望ましい。なぜならば、子どもの成長にしたがって、使用できる機能がアップグレードできるべきだからである。そのようなソフトウェアは、第一に携帯電話事業者による提供が考えられるが、端末メーカーによるものも考えられ、あるいはスマートフォンの場合にはサードパーティによる提供の可能性も考えられる。特定の携帯電話端末を推奨する制度を作る前に、事業者等に対してソフトウェアによる対応を求める方が先ではないか。

保護者が子どものネット・ケータイの使用状況に関心を持たず、「子どもを信頼している」等との名目で子どもが使いたいように使わせておくことは、保護者としての責任を放棄していることに等しい。

保護者には子どもに対して数多くの責任を負っているが、ケータイの利用状況を把握していない一点を以て、保護者としての責任を放棄していると一方的になじるのは言い過ぎである。また、子どもの発達程度の応じて子どものネット・ケータイの使い方の許容範囲を広げていくこともまた、個々の保護者の教育方針としては不自然なことではなく、判断基準の違いのみをもって、事件やトラブルの被害者や加害者となっていない子どもの保護者を責任放棄と非難することは、個々の家庭への過剰な干渉である。

こうした認識を浸透させるためには、青少年がネット空間で他人に迷惑をかけたり、年齢を偽って成人向けサイトを利用する等の不健全な行為を行った場合、保護者に対しても指導・勧告等を行うなどして、責任の自覚を促す仕組みを構築することも検討すべきである。

仮に青少年がネットで不健全な行為を行なった場合というのを、誰がどのようにして調査するのか。出会い系サイト規制法違反のような明白な違法行為は別として、例えば、単に成人向けサイトを閲覧等しているだけの青少年を特定しようとすれば、当該サイトの全ての利用者の通信の秘密が侵害される可能性がある。また、ネット上で青少年として不健全な行為をしているかのような情報発信を行っている人物がいたとしても、それが青少年であるかどうかは発信された情報だけでは分からず、そのような場合に情報発信者を特定することは、通信の秘密に反すると考えられる(実在の青少年のなりすましの場合は該当する青少年が被害者となる不法行為となりうるが、それは単に権利侵害として処理できることであってここで提案されているものではない)。また、保護者には管理能力がないとしておきながら、責任だけを取らせるというのでは、単なる保護者いじめではないか。

 

p.24

(ア)青少年がネット・ケータイの規制をかいくぐる手法等に関する最新情報や対処法について、タイムリーに提供する仕組みを設ける。

本文の内容がほとんどネットいじめに言及されているのみで、タイムリーに提供する仕組みに対しての具体性がない。またネットいじめのみを対策しても無駄で、そもそもの発生源である対面でのリアルいじめが問題である。それに対しての具体的な解決策もなく、単にネットいじめだけを叩いても、大人と子どもの単なるモグラ叩きゲームになるだけで、抜本的ないじめの解決にはならない。このような現状を把握できていない同協議会の提案は、学校にとっても保護者にとっても迷惑なだけである。

 

p.25

一部の事業者においては、保護者によるアクセス履歴確認サービスを導入しているが、それを利用するためのパスワードが子どもの携帯に送信されることから、実際には子どもの許可を得なければ保護者は履歴確認ができず、真の利用実態の確認が難しいという問題が指摘されている。

上記のサービスはそもそも本人が履歴を確認するためのサービスであり、子どものアクセス履歴を確認することを想定していないと考えられる。ペアレンタルコントロールを重視するのであれば、携帯キャリア3社に対して、ペアレンタルコントロール前提のアクセス履歴閲覧サービスを行なうよう要請すべきである。

そこで、子どものネットへのアクセス履歴を保護者が子どもを通じずに確認できる機能や、

上記の機能は、すでに携帯電話の利用が始まっている場合、電気通信事業法の定める通信の秘密の観点から大きな問題がある。未成年者だからといって、通信の秘密が守られなくても良いとする考え方は危険ではないか。むしろ子どもに対してアクセス履歴を見るということを宣言し、それによって子どもが自発的に悪質なサイトへのアクセスを自粛するような運用が望ましい。

また実際にURLのみのアクセス履歴を頼りに訪問サイトを調査するには、相当の知識とスキルが必要であることを同協議会は認識していないのではないか。例えば1つのサイトをアクセスしただけで、アフィリエイトやバナー広告などサイトに含まれる多数のURLも同時に履歴に残る。それらのリンクに実際にアクセスしたかどうかを、単なるURLの羅列から調査するのは、一般の保護者には困難である。さらに、コミュニティサイトを含む会員制サイトでは、登録した年齢によって表示する広告を変えたり、年齢別のアクセス制御を行うことも行われている。例えば、子どもと保護者が同一サイトに登録して同一URLにアクセスしたとしても、保護者のみに成人向け広告が表示されることはありうるし、子どもからは閲覧可能な他の子どものコンテンツを保護者が閲覧できないこともありうる。

また、サイト運営事業者等、インターネット接続事業者、携帯電話等事業者等は、青少年が援助交際(売春)・買春相手の勧誘に係る書き込みや他人に害悪や迷惑を与えるメールの発信等の不健全な行為を行った場合は、削除のみならず、注意、勧告、利用制限、脱退措置、違約金の徴収、解約等を行うとともに、その事実を公的機関に情報提供する旨の規約又は約款を設けることが適当であり、その旨都から要請する。

必ずしも違法とは言えない「不健全な行為」のために違約金まで徴収し、公的機関へ情報を送信するというのは、犯罪者と同じ扱いではないか。過ちを犯した青少年の更正を促すようなシステムになっておらず、いたずらに反社会的な人間を生産するだけの過剰な規制である。

 

p.26

このため、ネット・ケータイに絡んで青少年が被害やトラブルに巻き込まれた事案において利用されたサイトや、当該青少年の使用していた携帯電話等のフィルタリングの状況について、都が相談窓口等において把握し、確認できた場合には、その利用状況を都が公表することにより、保護者へ警鐘を鳴らすとともに、当該サイト運営事業者やフィルタリング開発事業者、第三者認定機関等に対して基準への反映等の社会的責務を果たすように促す。

確認された事案を公開するに当たり、その判断の公平性をどのように担保するのか不明である。また手口等が公開されたことによる、模倣犯の増加にはどのように対応するのかも不明である。またその公表を、どのようにして保護者に伝えるのかの手段も不明である。警察の「声かけ事案」のように、特に問題とも思われない通報に至るまですべて報告されるようでは、警鐘を鳴らすような社会的責務にはほど遠い。

また、認定サイトであっても、アバター等のアイテム利用により多額の費用がかかり、料金を払い切れず犯罪に手を染めるという金銭的な悪影響や、無料オンラインゲームへの長時間依存状態により、ひきこもりや健康被害となる問題も認識されている。

すでに同様の指摘を前段でも行なったが、追加アイテムなどが有料であることは示されており、基本的には双方の合意に基づく契約下で取引されるものである。したがって、携帯電話およびコンテンツ・サービスなどの欠陥ではなく、携帯電話の利用に関する教育の欠如が問題である。また高額課金を問題視するのであれば、それは青少年育成ではなく、消費者行政の問題として扱うべき事案であり、同協議会が扱う事案ではない。

 

p.28

ネット・ケータイについての知識が子どもに比して劣りがちな一般の保護者全てに対して、子どもに携帯電話等を利用させるに当たって最適なフィルタリング方法・水準の選定を求めることは難しいことから、保護者の知識や意識の在り様にかかわらず、子どもを守ることのできる仕組みが必要である。

「劣りがちな」という根拠のない保護者像を理由に、知識の十分な保護者の管理下にある子どもに対してもお仕着せのフィルタリング方法や水準を決めることは、家庭内のルール作りやリテラシ教育を行なうモチベーションを低下させる愚策である。

このため、青少年が使用する携帯電話については、原則としてフィルタリングを解除できないようにすべきであり、例外的にフィルタリングの解除を行う場合についても、保護者が安易に子どもの言いなりとなって解除の申出を行うことのないよう、フィルタリング解除の申出をすることのできる正当な事由について、「子どもの就労・就学の必要上やむを得ない事情がある場合」等の事由を限定的に定め、携帯電話等事業者はこの事由に該当する場合のみ例外的に申出を受け入れる仕組みの制度化を、都において検討すべきである。

現状では、家族や地域SNS、塾、野球チームなど、子どもが生活の中で係わる小規模なコミュニティの連絡をケータイサイトで行なうことがある。これらのサイトはEMA認定サイトの枠に乗ることができない。そもそもはフィルタリングをONかOFFかの選択しかできない実情のほうが間違っており、携帯事業者にはより詳細なカスタマイズやレベル分けが可能なサービスを提供すべく求めていくべきである。

 

p.29

携帯電話等事業者に対し、青少年が利用する携帯電話等については、第三者機関の認定の有無のみにとらわれず、コミュニティ機能を有したサイトについてはフィルタリングにより遮断することを基本とし、第三者機関認定サイトの中で保護者が閲覧しても良いと保護者が判断したサイトについてのみ、後から閲覧可能にできるような仕様にすることについて検討するよう、携帯電話等事業者に対し要請していく。

現在、携帯電話事業者のなかではNTTドコモがサイト単位のフィルタリングのカスタマイズを提供しているが、サービス仕様上、閲覧許可をするサイトが第三者機関認定サイトであるかどうかの制限はない。この要請が、保護者によるフィルタリングのカスタマイズによる閲覧許可の範囲を第三者機関認定サイトに限定するものであるとすると、保護者の教育権の侵害であると考えられ、また、前段で述べた、子どもが生活の中で係わる小規模なコミュニティの連絡目的のケータイサイトの利用とフィルタリングの両立を閉ざすことになり問題である。サイト単位のカスタマイズを提供していない他事業者への要請である場合、そもそも第三者機関認定サイトに限定した閲覧許可である必要はなく、汎用のサイト単位のカスタマイズ機能の提供を要請すべきである。

また、いずれにせよ、この要請はサイト事業者がコストをかけてサイトを第三者機関に認定してもらうインセンティブを大いに削ぎ、結果としてサイト健全化の動きに逆行するものではないか。EMA認定サイトで青少年の被害が確認されていることからの懸念は理解するが、ソフトバンクモバイルが「ウェブ利用制限(弱)」を導入してコミュニケーションサイトの安全性に段階をつけていることを参考に、EMAに認定サイトの段階制の導入を要請し、発達段階に応じて標準設定を変更することおよび段階単位の設定変更をできるようにすることを携帯電話等事業者に要請するなど、サイト事業者のサイト健全化の努力と両立する方向とするべきである。全体として厳しすぎる制限は、結局、個々の家庭に受け入れられず、保護者が利用者を自分名義とした携帯電話を契約して子どもに渡す事態を招くだけである。

 

p.30

あまり危険な側面ばかり強調すると、ケータイ離れが起こりかねないため、子どもを守るための各種サービスや取組もあわせて紹介することもあるためか、結果的に講座の終了後に携帯の保有率が上がることがあるとの指摘もある。

バランスを取って教育した結果、保護者がそのように判断したのであれば尊重すべきである。携帯電話の所持規制が目的ではない以上、携帯の保有率が上がることを問題視すること自体がおかしいのではないか。

 

p.31

携帯電話等事業者や学校等がネット・ケータイの利用に関する青少年への教育・啓発を行う際には、ネット・ケータイの利便性や楽しさのみが強調され、危険性に関する印象が薄れることのないよう、危険性と利便性両面の情報を与える際の順序等についても配慮する必要があるなど、青少年の安全確保の観点から一定の水準が保たれる必要があることから、こうした教育・啓発の内容や方法等について、東京都が具体的基準や指針を定め、事業者等の活動における水準の確保に努める。

東京都が、情報リテラシー教育教材で取り上げるテーマの順番にまで介入するのは、行き過ぎである。多様な教材が存在する中で、それらを必要に応じて教育担当者が選択できるようになるべきである。さらには東京都が、専門的にリテラシー教材を作る民間よりも知見に優れているとは思えず、教材の多様性・公平性を著しく損なう恐れがある。またネットに関する問題の重点は速いペースで変わっており、それを腰が重い行政が敏感に反応できるとも思えない。

むしろ教材制作を行なう我々のような民間の非営利団体等に対して、積極的に制作支援などを行なうなどの施策をお願いしたい。

 

p.32

(ア) 「学校内に携帯電話等を持ち込ませない」方針の推進と並行して、児童・生徒に対する「情報モラル教育」「メディア・リテラシー教育」のさらなる充実が図られるよう支援する。

学校が中心となってこれらの教育を充実していくことは望ましいことであるが、「学校内に携帯電話等を持ち込ませない」方針自体は、現状のバランスとしてはともかくとして、将来にわたって推進していくことが必ずしも望ましいとまではいえない、過渡的なものと位置づけるべきではないか。

(イ)保護者がネット・ケータイに関する教育・啓発を受けたり、自主講座等を開催しやすくするよう、学校や行政が協力・支援する努力義務を設ける。

保護者が一同に会する機会は、入学準備説明会、入学式、卒業式程度しかない。我々の活動として、入学準備説明会で携帯に関する講義を行なったところ、家庭 でのルール作りに関して効果が認められた。子どもの携帯に係わるトラブルの大半は、学校で関係を持つことになる友人間が中心となるため、同じ学校の保護者 に同じ啓蒙を行なうことは効果が高い。 この方策を推進することを提案したい。

 

p.33

(エ) ネット・ケータイを過剰に問題視せず、ネット・ケータイの利用にかかる青少年からの相談を受けとめる環境をつくる。

過剰に問題視しないことと、青少年からのトラブルの相談を受け止めることとが繋がらない。単なるトラブル相談体制ではなく、適切な使い方を促せる仕組みを確保することが望ましい。

現在学校等において事業者が実施している「出前講座」については、アに述べたとおり、青少年の安全確保の観点から一定の水準が保たれる必要があることから、事業者においては、東京都の定める教育・啓発に関する基準・指針等に沿った講座となるよう努めることが望ましい。

ここで述べられている「青少年の安全確保の観点から一定の水準」が、前述のようにネット・ケータイを過剰に問題視した行き過ぎの介入ではないか。

 

p.35

また、児童・生徒の性行為を描写した漫画が、小学生・中学生用に「ラブ・コミック」などとして大手出版社を含む多くの出版社から販売等されている。

「ラブ・コミック」は一般的な用語といえず、この答申案ではどこまでのものを指しているかが分からず、広範な委縮効果を招く可能性がある。具体例を入れるなどして、範囲を限定するべきである。

子どもに誤った性のイメージを植え付けている。

漫画の影響で誤った性のイメージを植え付けられているという主張に裏付けはないのではないか。

 

p.36

このことが児童を性の対象とする風潮を助長し、また、児童ポルノの被写体とされた児童・女性の著しい精神的虐待をもたらしている。

児童ポルノの単純所持処罰がないことが児童を性の対象とする風潮を助長しているという根拠は不足していると考えられる。また、被害児童の被害を軽んずるつもりはなく、精神的被害を受けたと感じている被害者も少なくないとは思われるが、しかし、児童ポルノの定義となるものの被写体となった者全てが著しい精神的虐待を受けたと認識するとは必ずしもいえないと考える。なお、「児童ポルノの被写体とされた児童・女性」とあるが、18歳以上の女性が児童ポルノの被写体となることはないのだから、この部分は「児童・元児童」と修正するべきである。

イ 幼児や小学生が半裸・水着姿でポーズを取らされた写真集等(いわゆる「ジュニアアイドル誌」)

ジュニアアイドル誌という呼称は中学生程度の年齢の被写体に用いる場合も少なくないと考えられ、混同を招くのではないか。

 

p.37

しかし、子どもを性的対象とする図書類は、青少年の健全な育成を阻害するものであるとともに、青少年を性欲の対象としてとらえる風潮や青少年の性的虐待を助長するものであることから

引用箇所には根拠がないと考える。

 

p.40

世界的にみれば、ほとんどの欧米諸国で単純所持が禁止されており、スウェーデンは憲法を改正してまで禁止した。

単純所持を禁止する諸国とは憲法・刑法の成り立ちや構造が異なる。単純にそこだけを比較することに意味はないのではないか。

単純所持の禁止は、需要(児童ポルノの所持)を抑えることにより供給(児童の性的虐待)を少なくすることができ、また、被写体とされた子どもの苦しみの源であり、別の子どもの性的虐待に利用される児童ポルノの流通(特にインターネットでの流通)を防ぐこともできる。

単純所持を厳しく禁止している米国が児童ポルノの流通の最大国であることを考えると、この主張は成り立たないのではないか。

G8各国で単純所持を禁止していないのは日本とロシアだけ

人口比やインターネットの普及状況を考慮した場合、G8という枠組での比較は恣意的で意味がないのではないか。

平成19 年の内閣府による世論調査においては9 割以上の国民が児童ポルノの単純所持の禁止に賛成している

面接で性の問題を取り扱った内閣府の世論調査は社会調査としての設計に問題があり、結果に妥当性が無いと考える。

その間にもインターネット上等において児童ポルノは蔓延・拡散し続けている。

すでに頒布や提供は違法であり、現状の拡散は警察の取り締まりが不十分なことに原因があり、単純所持を処罰対象としたところで解決するものではない。

さらにインターネット上等で自分の画像がさらされ、人の手に渡り続ける苦悩について、誰にも相談できず、一人で孤独と絶望に耐えているのである。

誰にも相談できないのであれば、一人で孤独と絶望に耐えているかがどうしてわかったのか。 これは単に書き手の勝手な想像ではないのか。

子どもを性の対象として取り扱うことが許されないことは当然

子どもが同年代の対面の相手を性の対象として考えることまで許されないという議論であるとすると、それは違和感がある。

 

p.41

「児童を性の対象として扱うこと、児童を性的に搾取し虐待することや、これを助長する行為は、社会的に是認されるものではなく、これを決して許さない」

現実の児童とそうでないものは明確に分けるべきである。両者をいっしょくたにして扱うことは、現実の児童の被害の問題を、むしろ希薄化するのではないか。

児童ポルノを含めた児童を性的対象とする行為及びこれを助長する行為の追放・根絶に向けた機運の醸成と環境の整備に努める責務を都の責務として規定する

結婚可能な16歳も児童に含まれている。児童の定義を限定しないまま「児童を性的対象とする行為」を「追放・根絶」することは誤りである。

児童ポルノのブロッキングの推進

ブロッキングは通信の秘密の問題があるにもかかわらず、この協議会ではその点の検討が行われていない。あまりにも乱暴な議論であり、撤回すべきである。

 

p.42

規制の対象が現行児童ポルノ法よりも狭まることのないよう留意することが必要である。

国際的な動向を踏まえると、日本の現行児童ポルノ法における児童ポルノの定義はやや広すぎるきらいがあるため、国外の主要国の主流文化に属する現地で合法なサイトにアクセスしうるネット利用者を保護する観点からは、単純所持に限っては現行法よりも狭めることは、有力な選択としてありうることであり、このような留意は不適切である。

保護者が金銭を得たいという目的

ジュニアアイドルの写真集の出演料は、市場規模が小さいことを考慮すると必ずしも高額とはいえない可能性が高く、目的については想像に過ぎないのではないか。保護者の動機については社会調査によって裏付けのある内容とする必要があると考える。

半裸や水着姿でポーズをとらされた自らの肢体を性的興奮を求める大人にさらされるという被害に遭っているのである。

児童ポルノ禁止法や児童福祉法に違反しないと司法上判断されている状況について、被害という言葉を用いるのは客観性に欠けるのではないか。

このようにして被写体とされた子どもが、思春期を迎え、あるいは大人になったときに、このような写真集が販売等され、自らが不特定多数の者に性的対象として扱われていることを知った場合には、精神的なダメージを受け苦しむこととなる。

そのような精神的ダメージを受け苦しむ人がいる可能性があるということについては必ずしも否定できないが、被写体とされた子どもが必ずそのように苦しむともいえない。答申案は被写体とされた子どもが苦しむよう運命づけられている、ないし、苦しむような価値観を内面化することを期待しているようにもとれ、不適切である。

児童福祉法34条では、何人についても「身体に障害又は形態上の異常がある児童を公衆の閲覧に供すること」、「公衆の娯楽を目的として、満15歳に満たない児童にかるわざ又は曲馬をさせる行為」、「満15歳に満たない児童に戸々について、又は道路その他これに準ずる場所で歌謡、遊芸その他の演技を業務としてさせる行為」を罰則付きで禁止している。これらの行為の多くは諾否の自由を有しない児童を見世物として金銭を得ようとするものであり、かかる行為は児童を著しく虐待するものであり許されないとして法律で禁止されているのである。

列挙されている行為は、単に「児童を見世物として」いるのではないのではないか。身体障害などは障害者差別を含む問題であり、「かるわざ又は曲馬」は怪我をする危険性の高い行為であり、歌謡などは「道路その他これに準ずる場所」という限定があり、流しや路上ライブという形態に問題があると捉えているものだと考えられる。単に「児童を見世物として金銭を得ようとするもの」と広くとらえてそれを問題視することは、社会的に問題だと考えられていない子どもの芸能活動一般を禁止すべきという議論につながりかねず不適切である。そう考えると、列挙された行為と、ジュニアアイドル誌の販売や撮影の間に共通点はなく、「同様に児童を虐待するもの」という論旨には根拠がない。

 

p.43

保護者としての努力義務に著しく反する非常に悪質性の高い行為であると言える。

中学生以下の芸能活動については、労働基準法第五十六条第二項により、行政官庁が「児童の健康及び福祉に有害でなく、かつ、その労働が軽易なもの」である場合に限って許可をしているはずである。もしジュニアアイドル誌のモデルとなることが児童にとって有害であるのならば、その責任は所轄労働基準監督署にもあり、保護者のみを非難していることは失当である。

条例上、青少年に対する図書類等の販売等の自主規制の対象にこのようなジュニアアイドル誌を位置づける

問題意識と手段が不整合である。青少年が自分と近い年代の者の水着姿などを性的な目線で見ることは大人の場合と比べてより問題があるとはいえないのではないか。

 

p.44

しかし、子どもを強姦する、輪姦するなど極めておぞましい子どもに対する性的虐待をリアルに描いた漫画等の流通を容認することにより、児童を性の対象とする風潮が助長されることは否定できないであろう。

実証されておらず、根拠がない。

また、大人が実在する子どもを被写体とした児童ポルノを子どもに見せ、「他の子もやっている」「これは普通のことだ」などと信じさせて、子どもに性的虐待を行う場合があるが、児童を性的対象とした漫画等の多くは、幼児・小学生とされる児童が積極的に性的行為を受け入れる描写が見られ、このような漫画等を子どもに見せて性的虐待を行う危険性も大きい。

もしこのような問題が少なからず実際に生じていると判明しているのであれば、現行の条例では不健全指定図書類や指定図書類を青少年に閲覧等させない努力義務を設けているのに対し、性的な目的でわいせつ物や不健全指定図書類・表示図書類を子どもにみせることについての処罰を検討すべきである。漫画の流通を現行の条例の枠組を越えて規制・禁止する必要はない。一方、このような問題が想像上のものに過ぎず事例が確認できないのであれば、そもそも危険性は低く規制する理由が存在しないことになる。

一方、このような漫画等を楽しむことを認めることで子どもに対する性犯罪の抑止が図られているとする主張もある。しかしながら、そのような主張に関する明確な根拠は示されていない。

逆に犯罪が抑止できていない、誘発されているという明確な定量的な根拠も示されていない。ただの水掛け論である。

 

p.45

少なくとも児童に対する性行為等を写真やビデオと同程度にリアルに描写した漫画等については、児童ポルノ法その他の法律により、可能な限り早期に何らかの規制を行うことが必要である。

この部分の手前のレファレンスの引用から分かることは、多くの国はそのようなものを規制していないということである。

 

p.46

児童が幼児や小学生であるとの設定の場合には、性行為への合意があっても刑法の強姦罪に当たる年齢であることから、合意に関する描写の有無にかかわらず、包括的に強姦に当たるとみなされよう

小学生どうしの設定の場合、刑法の責任年齢に達しないことから強姦罪にはあたらないのではないか。

また、児童を性的対象とする内容の漫画等で、写真やビデオと同程度にリアルに描写したものや強姦等の著しく悪質なものは、青少年のアクセスの遮断のみならず、一般人のアクセスも制限する取組や、インターネットからの削除、ブロッキングの推進などの取組を関係業界に働きかけることが適当である。

違法情報でないものについて上記の措置を行うことは、表現の自由や通信の秘密の観点から不適切である。

 

p.47

小学生等の低年齢者を読者層の中心に据える図書類のうち、児童・生徒の性行為の描写が含まれるものについては、条例上、青少年に対する図書類等の販売等の自主規制の対象であるとともに、上記表示の努力義務の対象であることを明らかにした上で

小学生等の低年齢者に対して不適切であるという判断で「青少年が閲覧することが適切でない」旨の表示を求める条例上の努力義務の対象とすることは、あまりにも広範な図書類を青少年全体から遠ざけることになり、不適切だと考える。

 

p.49

現行条例は、青少年への販売が禁止されている物品の規制について、対面販売を前提としているため、青少年の間に広く浸透しているインターネット通信販売に対応できていない。

インターネットの通信販売自体は広く浸透しているが、青少年がそれを利用して、販売が禁止されている物品を買うことがどれぐらい一般的なことなのか明らかではない。具体的な調査が必要である。

 

p.50

インターネット通信事業者、プロバイダー及びインターネットを利用した通信販売事業者(以下「事業者等」という。)は、ネット上の通信販売やオークションにおいて、青少年に相応しくないと思われる物品を扱っているサイトへのアクセスや閲覧をさせないための有効なシステム(ブロッキングシステム)の開発向上を推進することが必要である。

このブロッキングが、児童ポルノのブロッキングと同様に、ユーザー側のインターネット通信事業者による通信遮断を指しているのであれば、通信の秘密の原則に抵触する可能性がある。また通販サイト側のシステムを指しているのであれば、インターネット通信事業者およびプロバイダーは、通信販売事業者に役務提供する事業者に限定すべきである。ま た、ブロッキングという表現ではなく、年齢認証システム、といった名称に変更すべきである。

さらに、同区分販売における支払い方法についても、現金支払いではなく、青少年が取得することのできないクレジットカード等での決済に限定する、商品受渡し時にも、対面対応を原則とし、年齢確認を徹底するなど、青少年が容易にインターネットを利用した不健全図書類等の売買等をできないようにする仕組みの構築や自主的な取組が期待される。

現状、通信販売業者が宅配業者に依頼して年齢確認を含む厳密な本人確認を行なうサービスはあるが、300円なりのコストがかかり、利用者の負担が増加することになる。また、現状は年齢確認というよりも、厳密な本人確認を行なうという運用であるため、このサービスを使うと本人以外が絶対に受け取れないため、宅配業者の配達時間帯に在宅していない人にとって通信販売の利用が困難になるというデメリットがある。なお、通信販売はインターネットに限らず紙媒体などでもあるので、ネット通販固有の問題ではない。受け取りに関しては、宅配便事業者だけでなく、コンビニチェーンなども対象事業者に含めるべきである。

 

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つまり、「非社会性」とは、一口で言えば、「当たり前の感情を持っていない」ことであり、「相手の気持ちが分からない」ことである。当たり前の感情とは、人と人とのコミュニケーションの中から生まれてくるものである。言葉やそのトーン・間を感知し、相手の表情、さらにその人固有の事情等などを総合的に考え合わせることで、「相手の気持ち」を推し量ることができるようになり、それを踏まえて、相手と自分、社会と自分の「共通感覚」「暗黙のルール」を得られるようになる。

ここで言う当たり前の感情とは、非常に地域性の高いものである。対面コミュニケーションにおける非言語的な部分での文法は、所属する文化によって大きく異なる。奇しくも本文中には外国人の親に対する教育に関しての言及もあったが、日本中のみならず世界中から多様な人が集まる東京において、「当たり前の感情」が共通のものとして厳然と存在するというのは、「そうありたい」という理想は理解するところだが、「そうあるのだ」とは言い切れないし、そう信じ込むのは危険である。

この「共通感覚」は、ネット・ケータイによるコミュニケーションでは得られにく
いものである。

ネット・ケータイによるコミュニケーションにおいても、さまざまなローカルルールや自律的な共通感覚の形成はみられる。子供に共通感覚なるものが形成されていないとしても、それは学校、家庭、社会の複合的な要因によるものであって、ネット・ケータイを否定しても解決するような問題ではない。

掲示板等における無防備なまでの個人情報の開示や自らの裸の写真の掲載、えげつないまでの誹謗中傷や残虐な画像の掲載、これらは全て「自分」と「自分と共通の感覚を持つ誰か」との擬似的な共通感覚、バーチャル(仮想)な「リアル」の中だけで通用するものであり、そこにはそれ以外の者に対する配慮や警戒心等は存在しない。

「自分」と「自分と共通の感覚を持つ誰か」との擬似的な共通感覚は、ネットコミュニケーションの根幹をなす部分である。多くのネットユーザーは、現実の知り合いのみにたいしてコミュニケーションを行なうわけではなく、共通の感覚を共有する誰かと繋がりたいからインターネットをコミュニケーションに利用しているのである。

この感覚自体を理解できないのであれば、同協議会はインターネットに関してなんらかの助言を行なう資質に欠けると言わざるを得ない。

 

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児童を性の対象としてとらえること自体は昔からある程度存在してきたものと考えられるが、そのような性向を持つ個人も、従前は、自らも「子どもを性の対象として見ることは社会的には許されないことである」というごく一般的な「共通感覚」を部分的には有しており、その存在を自ら顕在化させようとしなかったのではないか。

源氏物語の内容や、唱歌で「十五で姉やは嫁に行き」と歌われるようなこととを考えると、歴史的には子どもと大人の境はもっと若かった時代もあり、あまり実証的ではない。

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