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プレスリリース

2008.04.04

「知的財産推進計画2007」の見直しに関するパブリックコメント

先日お知らせしました、「知的財産推進計画2007」について、MIAUから送付したパブリックコメントを、こちらにも掲載いたします。

以下、「知的財産推進計画2007」について、その議論経過もふまえてコメントします。(ページ数は当該文書を参照)

著作権法における非親告罪化について (P.63)

著作権侵害は、有体物に対する財産権の侵害と比べて簡単に生じやすいものであり、またその財の非競合性から、無断で利用されることを被害と考えない著作権者が、数多く存在しています。著作権侵害を非親告罪化すると、著作権者が黙認するような事例について、著作権者の意思を無視して刑事告訴するという不条理が生じてしまいます。これはあってはならないことです。

また、刑事実務上、親告罪が非親告罪化されたところで、大してプラスの影響はないということは、昨年度の文化審議会の報告からも記されています。著作権侵害を効率よく規制する手段としては作用しないと考えられます。

私的使用複製の違法化について(P.91)

いわゆる「ダウンロード違法化」の問題について、いわゆる「違法サイト」からのダウンロード、いわゆる「適法サイト」からのダウンロードの両方について、文化庁が昨年の審議会の最終報告書でまとめたような違法化は適切ではないと考えます。既に文化庁のパブリックコメントにて指摘しましたが、以下のように数多くの問題点が懸念されます。

  1. 複製にあたるダウンロードと、複製にあたらないブラウジングやストリーミング視聴を、技術的には区別が曖昧であるにもかかわらず、法律的に適法性の区別がつけられてしまう筋の悪さと将来的な技術開発への無用な制約があること。
  2. 海外でその地の準拠法では違法な公開にあたらないサイトを利用した場合の扱いなど、国際的な法制度の不整合があること。
  3. 一部の国家を除いて、著作権制度はほぼ全世界的に無方式主義であり、ネットユーザーにとって、あるコンテンツが適法公開なのか違法公開なのかを、合理的な理由に基づいて判断する術が無く、違法公開「かもしれない」と考えてもそれを容認してダウンロードすれば、情を知っているので違法とされうること。また、裁判官の判断にも大きく依存し、また文化庁の持論も裁判によって否定されることがあり高度の信頼性に欠ける現状では、国民の法的地位が甚だ不安定になること。
  4. 国民が常に自分が違法行為を犯しているのではないかという不安感に晒され、それが架空請求の踏み台として大いに利用されうること。
  5. 「適法な」ダウンロードについて、実効性を担保したり国民の安心を得たりするために、適法ダウンロード情報をトラッキングするということになれば、通信の秘密が侵害されることになるおそれがあること。
  6. 学問・研究・報道等で違法ダウンロードについて調査する行為なども、従来は私的使用複製の概念で柔軟に対応していたとも考えられるが、ダウンロードが違法化されると、これらも違法行為とされてしまうということ。
  7. そもそも、法改正が必要であるという主張の根拠が乏しいということ。(「ダウンロードによる被害」が本当に存在するのか、印象操作の疑いの無い、信頼できる統計情報は存在しない。またダウンロード違法化議論で議論されている「問題」は、法律上は送信可能化権で既にカバーされているはずであり、まず著作権者が送信可能化権をしかるべく行使するよう啓発すべきである。)

なお、適法性の判断の問題に関連して、「適法マーク」のようなドメスティックな民間対応を見せる著作権団体もありますが、その有無は何ら適法性も違法性も担保しませんし、これを入札条件とする官製談合の類が認められるようなことがあってはならないと考えます。公正取引委員会ではコンテンツ事業の発注につき、厳格な姿勢で審査していただきたいと考えます。

ネット上のビジネスマーケット構築について (P.91)

最近、ネットでコンテンツを配信するための簡便な権利処理が必要であるという問題意識から、ネット配信に限定してそのために必要な権利を映画会社等に集中的に権利を帰属させる「ネット権」を創設すべきであるという提案がなされています。そこに問題意識を向ける姿勢は私たちも賛同するところですが、具体的な案としてのネット権については否定的にならざるを得ません。

ネット権の提案では、権利が映画会社やTV局に帰属することになりますが、これらは実際にコンテンツを制作している著作者ではありません。ネット権者に権利を専有させるということは、著作者から権利を剥奪することでもあり、ここではそれがマイナスに作用し、番組制作会社のインセンティブを不当に損なうことになります。

ネット権提案者たちが問題視しているのは、番組の配信等が行えないことにあるのですから、ネット配信に必要な権利について、事前徴収・事後分配方式で必ず許諾されるものとし、使用料に相当する対価を文化庁あるいは第三者機関に信託できれば足ります。個別の映画配給会社や放送事業者が権利を専有する必要は無いと考えます。使用料の分配は純粋に著作者間でなされるため、創作の担い手にさらなるインセンティブがもたらされることにもなることを考えると、この方が望ましい方式です。

そもそも、権利処理を簡便化するために新しい権利を創設するというのは、筋が悪いと言わざるを得ません。ネット配信に限定した専有権という考え方は、あまり明確なものではありません(インターネットプロトコルを利用したイントラネットにおける流通や、住基ネットを経由しての複製等の問題が考えられます)。

私たちは、権利処理の構想として、著作権制度とある程度パラレルでありつつ、既存の制度と矛盾しない「二階建て」のような制度が、ネット権よりも具体的に妥当すると考えています。それは、本来的に文化的な創作の保護を主眼におき、無方式主義であらゆる創作者に権利が自然発生する著作権制度は従来型のままにして、積極的に営利活動を行いたいという者にのみ、著作権を放棄することを条件に、新制度で与えられる法的保護を受けることを届出させる、というもので、以下のようなメリットがあります。

  1. 登録されている情報を探すのみであるため、権利者の探索に無用なコストがかからなくなる。
  2. コンテンツビジネスのために制作されたものであり、明確な権利行使の意思があると推定できることによるメリットがある:
     

        

    1. 非親告罪化に類似する(ただし著作者の同意による違法阻却があり得る)規定を設けることができる
    2.   

    3. 禁止権として構成するのではなく、報酬請求権として構成することで、許諾を得るためにワンストップをかける必要がなくなる。
  3. 権利処理を自動化する機構を法的に整備しやすくする。

この制度によって、著作権法がその本来的な趣旨を維持しつつ、コンテンツ産業やネット配信など現代的な課題を解決することが可能になります。

「二階建て」の制度案については、同じ名前でいくつか(誤解を含む)解説が見られますが、私たちが支持する案は以下で詳しく説明されています。

  • http://grigori.sblo.jp/article/3837797.html
  • http://d.hatena.ne.jp/inflorescencia/20070811

私的録音録画補償金とDRMについて (P.91)

文化庁では、審議会にて発表した「将来的にはDRMを前提に補償金を廃止」という方向性を示していますが、これについては私たちはむしろ否定的な立場をとります。EMIやユニバーサルミュージック、Sony BMGやワーナーミュージックなどがiTunes PlusやAmazon MP3などDRMフリーの音楽配信サービスを活用するようになり、大物ロックアーティストが自らDRMフリーの音楽配信を行うようになった現在、DRMは世界的な音楽配信の潮流としてはむしろ廃止されつつあります。DRMが何らかの補償制度の要件として機能することを求められるような制度設計は、現実的ではありません。

また、現在のような補償金制度を維持するとした場合でも、DRMが施されていて複製できないようなコンテンツについては、補償すべき損害は間違いなく存在しないのですから、補償金分配の対象から除外するなどして、公平な制度に改正する必要があると考えます。

補償金は何より著作権者に分配されるべきものであり、その徴収・分配が適切に行われるよう、透明性を高める努力が求められています。そのような努力を放棄して、共通目的事業を拡大したり、既に業界向けに周知されているはずである補償金制度の広告に補償金をつぎ込んだりしようというのは、不適切であると考えます。

著作権保護期間延長論について (P.94)

著作権保護期間延長論には数多くの問題があります。

  1. 著作権の保護期間を延長することは、遺族など一部の著作権者(著作者でない)を利することしかなく、新たな創作へのインセンティブが存在しないということは、経済学上ほぼ争いがありません。著作権者の遺族のみが不労所得を得られるべきであると考える合理的な理由は何ら存在しません。
  2. 長すぎる保護期間は、米国で”Orphan Works”と呼ばれる問題を生み出しています。すなわち、保護期間が長いため、著作権が切れていないが、著作権者の存否や所在が不明であったり、著作権者の遺族と連絡がとれないため、自由に利用することが出来なくなってしまうのです。
  3. 著作権によって自由利用が制限されていれば、特に創作から何年も経った著作物はほとんど利用されないことになり、大多数の古い作品は死蔵されることになります。著作権保護期間が延長されれば、その死蔵期間が無駄に長くなります。
  4. 世の中のあらゆる創作は、それ以前の創作の上に成り立っていますが、著作権が存続している間は、それらの創作の上に新たな創作を作り出すことが困難になります。古典作品を現代風に加工した名作は数多く存在します。古典作品を埋もれさせない、著作者やその創作に対して思いやりのある制度が望まれます。
  5. いまだに保護期間延長が世界的潮流であると主張する向きもありますが、西欧でも保護期間延長法案が却下されているのが事実であり、世界的潮流はむしろ保護期間を延長しない方向になっています。そもそも、世界的潮流がどうであるかは、国内法制度のあるべき姿を論じる際には、ほぼ無関係な問題であり、特に著作権制度のように各種条約が既に存在するのであれば、その範囲で議論すれば足ります。
  6. 保護期間を延長しないことで日本の経済的利益が損なわれるという主張する向きもありますが、日本は古典作品については輸入超過であり、かえって日本の経済的利益を損ないます。

コピーワンスルールの見直しについて (P.105)

コピーワンスの運用を見直し、もう少し柔軟な運用ルールを模索した結果、現在では「ダビング10」と呼ばれる方式に結着したとされていますが、このダビング10方式は、コピーワンスと同様、1世代コピー(COG)のみを許容する、柔軟性に欠けるものであり、私たちはこれを支持できません。

ダビング10が実際に9回コピー + 1回ムーブを許容するのは、HDDプレイヤーを前提とした場合に限られ、単体のデジタルチューナーや外付レコーダー、ケーブルテレビのSTBを利用している場合は、従来通りコピーワンスの運用となってしまいます。すなわち、相当数の人にとっては、従来通りのコピーワンス状態になってしまい、柔軟な運用ルールは実現できていないことになります。

当団体でネットユーザーにアンケートをとったところ、7割の回答者はダビング回数について無制限が望ましいと回答し、同様に7割の回答者はコンテンツをPCまたはDVDにアーカイブしておきたいと回答しています。今後は、Apple社のApple TVのような、自社のハードウェア(TV)を活用したオンデマンド番組配信が、TV視聴に取って代わることになると考えられます。COGルールに固執することによって、PCのHDDやDVDへの自由なコピーが行えないのであれば、その流れはいっそう加速していくことでしょう。

以上。

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