MIAUは、政府の知的財産戦略本部「知的財産推進計画2018」・「知的財産戦略ビジョン」の策定に向けた意見募集に、下記の意見書を2018年2月16日に提出いたしました。
内容は以下の通りです。
「知的財産推進計画2018」・「知的財産戦略ビジョン」の策定に向けた意見
一般社団法人 インターネットユーザー協会(MIAU)
著作権保護期間について
【要旨】
著作権保護期間の延長には反対。CPTPPはTPPとは別協定である。またCPTPPには著作権保護期間延長に関する条項が含まれていない。ついては著作権保護期間の延長については引き続き凍結されるべき。
【本文】
著作権保護期間の延長について、当協会は従来より後述の理由から反対する。またTPP協定への批准に向けた著作権法改正においては著作権保護期間延長も含まれているが、その要件としてTPP協定の発効が定められている。TPP協定においては米国の離脱によりその発効は現状では見えていない。米国以外のTPP協定参加国によるCPTPPはTPPとは別協定である。またCPTPPには著作権保護期間延長に関する条項が含まれていない。ゆえにTPP協定発効を前提とした著作権法改正はなんら理由がない。ついては著作権保護期間の延長については引き続き凍結されるべきである。
[著作権保護期間を延長すべきでない理由]
著作権の保護期間が早く終われば、その著作物を用いて二次的著作物を制作したり、その作品を上演したりする際の許諾や著作権使用料が不要となるため、二次的著作物の制作や作品の上演が大きく加速される。結果として近代や現代の作品を演奏・上演する楽団や劇団などが増加し、著作物の漫画化やノベライズ、パロディといった新たな創作物の出現が活性化される。
さらに著作権が切れた著作物を利用することで、新たなビジネスが生まれている。例えば著作権が切れた書籍のデジタル化を進めている「青空文庫」のデータは数多くの電子書籍端末などに収録されており、日本における電子書籍の普及に役立っている。しかし著作権保護期間の延長によって、このような創造のサイクルが大きな打撃を受け、新たなビジネスチャンスを失うことになる。
加えて情報通信政策研究分野では、保護期間の延長が社会全体の利益や創作活動の振興に結びつかないという研究が知られている。また政府は近年、「EBPM(Evidence Based Policy Making:証拠に基づく政策立案)」を重視している。勘や経験、声の大きさ等によって政策が歪むことを排し、政策がその目的を達成するように「証拠」に基づいた議論をすることを政府は目指しているはずである。著作権保護期間の延長を議論するのであれば、これまでの有力な研究成果に反する政策を行う根拠を示すべきである。
リーチサイト規制について
【要旨】
リーチサイト規制に反対。リンクは情報伝達において不可欠な役割を担い、インターネットを支える根幹技術のベースにある技術である。リーチサイトの定義については、一定のサイトに限定する案がないのが現状である。また「悪質」のような主観的な判断でリーチサイトを定義することは、リーチサイト規制は直接的あるいは間接的に表現の自由そのものを抑圧し、議論によっては人を罪に問うものであることから許されない。
【本文】
リーチサイト規制については2017年6月30日に開催された文化庁第17期文化審議会法制・基本問題小委員会(第2回)で当協会は意見を述べる機会を得た。当協会のリーチサイトに関する議論への意見はその際に発表したもの(https://miau.jp/ja/820)と変わらず、知的財産推進計画についても同様の意見を提出する。
著作権を侵害する違法アップロード行為は許されるものではなく、取り締まられるべきである。またその違法アップロードを取り締まる法制度はすでに整備されており、効果をあげている。海賊版対策は違法アップロード対策をベースに考えることが原理原則だ。
対して現在議論されているリーチサイト規制について、リンク情報の提供行為は,インターネットによる情報伝達において不可欠な役割を担うものであり,表現行為として憲法第21条第1項により保護される。加えてリンクはhttp(hyper text transfer protocol)というインターネットを支える根幹技術のベースにあるものである。そのような視点から我々はリーチサイト規制に反対の立場をとる。検討の際は表現の自由の側面はもちろん、技術的な側面にも目を配るべきである。
リーチサイト規制に関して、リーチサイトをどのように定義するかという議論は難しく、文化審議会でも指摘されているように「一定のサイトに限定する案がないのが現状」と考える。リーチサイトを「リンク情報の数,侵害コンテンツへのリンク情報である割合,コンテンツの検索を容易にする工夫など」で定義することはできない。
また「悪質」のような主観的な判断でリーチサイトを定義すればよいという声があるが、それでは検索エンジンやソーシャルメディアサービス、そしてそのようなサービスのユーザーが萎縮する。「悪質」という判断基準事態がそもそも不明確な規定であり問題といえる。フェアユースのように表現の自由を担保するに際しての柔軟性ある基準と異なり、リーチサイト規制は直接的あるいは間接的に表現の自由そのものを抑圧し、議論によっては人を罪に問うものである。そのような議論に「悪質」といった判断をリーチサイトの定義に入れ込むことは容認できない。もし主観的な判断を入れるのであれば、ユーザーや市井のエンジニア、ビジネスセクターが戦えるよう、米国型4要件によるフェアユース規定の導入が併せて行われる必要がある。
著作権侵害を理由としたサイトブロッキングについて
【要旨】
サイトブロッキングは憲法で保障された人権を侵害するものであるから、決して導入されるべきではない。諸外国でサイトブロッキングが導入されている事例はあるが、うまく行っているとは言えない。効果の低いサイトブロッキングよりも海賊版サイトを摘発・削除するための取り組みに力を注ぐべきである。
【本文】
違法アップロードサイトが社会問題となり、その対策がさまざまなところで議論され、その対応の手法としてサイトブロッキングが挙げられることがある。対して当会は「知的財産推進計画2017」策定に当たっての意見募集において、著作権侵害を理由としたサイトブロッキングについて下記の意見を提出した。2018年も引き続き同様の内容を求め、拙速な議論とならないように注意する必要がある。
また、サイトブロッキングが行われている地域では、接続経路を偽装するツールやサービスが発達するなど、サイトブロッキングを回避する手法が充実してきている。サイトブロッキングの導入により、こうした匿名化ツールやサービスにユーザーを誘導してしまえば、ブロッキングが容易に回避されるばかりか、海賊版サイトの大胆な利用を誘発し、事態の悪化を招く恐れもある。
[著作権侵害を理由としたサイトブロッキングをすべきでない理由]
サイトブロッキングは通信全般を監視し、なんらかのアルゴリズムで不適当と判断された通信を遮断するというもので、憲法で保障されている「通信の秘密」を侵す事実上の検閲行為にあたる。そしてこの件は2010年の児童ポルノサイトブロッキングに関する議論において通信の秘密と違法性阻却事由の観点から大きく議論され、著作権侵害についてのサイトブロッキングは不適当であるという結論がすでに出されている。ついては著作権侵害を理由としたサイトブロッキングは憲法で保障された人権を侵害するものであるから、決して導入されるべきではない。
実際にイギリスやフランスなどの諸外国で著作権侵害を理由としたサイトブロッキングは行われていることは事実だが、効果としては低いとされている。ブロッキングを行ったとしても、海賊版サイトはドメインやサーバをすぐに変えてしまうため、ブロックの判決が出た数日後には使えるようになっていることが多い。これはサイトブロッキングは単にアクセスを遮断して見えなくするだけであり、海賊版サイト自体は厳然として存在するのであるから当然である。なお、児童ポルノと同様に裁判所を通さずに行政手続きでサイトブロッキングを行えば十分なスピードでブロッキングができるという主張もあるが、これは「表現の自由」への影響が大きく、諸外国でも採用されていないことに留意すべきである。
ISPに負担をかけるだけで、「表現の自由」を侵害するにもかかわらず効果の少ないサイトブロッキングを行うよりも、おおもとの海賊版サイトを摘発・削除するための取り組みに力を注ぐべきだ。
クリエイターへの適切な対価還元に関する議論について
【要旨】
クリエイターへの対価還元における議論においては「複製はすなわち不利益」という形で議論が進んでいるが、権利制限は権利者の犠牲において行われるのではなく、文化の発展産業の発達に沿う範囲で行われるものである。メディア変換やタイムシフト・プレイスシフト、アーカイビングなどを目的とした複製は対価還元の対象から外し、ユーザーの自由を制限するDRMとのバランスという視点を盛り込んで議論が行われることを求める。
【本文】
クリエイターへの対価の還元については、常にユーザー側の利便性との関係で論じる必要がある。ユーザーの複製の自由と対価の還元は密接に関係する、いわば車の両輪だからだ。現在文化審議会で行われているクリエイターへの適切な対価の還元の議論では「複製はすなわち不利益」という形で議論が進んでいるが、すべての複製に不利益が伴うものではない。仮に不利益があっても、補償までの必要がないものも存在する。そもそも権利制限は権利者の犠牲において行われるのではなく、文化の発展産業の発達に沿う範囲で行われるものである。ついてはメディア変換やタイムシフト・プレイスシフト、アーカイビングなどを目的とした複製は、対価還元の対象から外すことを求める。
またクリエイターへの対価還元における議論においては、ユーザーの利便性を制限するDRMとのバランスという視点を盛り込んで行われることを引き続き要望する。これは保護と利用のバランスのとれた新しい制度設計につながる。
弊団体としては、新しいクリエイターへの還元措置として、契約モデルによる対価還元と、補償金制度のクリエイター育成基金化を提案しているが、著作物等の適切な保護と利用・流通に関する小委員会においては権利者団体側が現状の補償金制度に拘泥しすぎており、新しい制度のあり方まで議論が進まないことは、大きな問題である。
現在総務省が4K・8K放送の推進を主目的とした地上テレビジョン放送の高度化技術についての議論を進めているところであるが、これはクリエイターへの適切な対価の還元の議論にも大きな影響を与える。ついては文化庁だけでなく総務省はじめ、関係省庁の審議会との合同会議の設定が必要である。多くの関係者の参加によって、より合理的で、豊かなサービスの可能性を縛らず、コンテンツ産業、録画機器メーカー、消費者・ユーザーすべてにとってのより良い未来の環境整備となる新たなルール設定が必要である。
柔軟性のある権利制限規定の創設について
【要旨】
抽象度の高い権利制限規定を導入しようとしている点は評価できるが、デジタル化やネットワーク化による著作物の利用について、それが多様化したのは決して企業だけではなく、一般ユーザーにも大きく関わるものである。現状の案は消費者が求めるニーズに応えるものとなっていない。米国型フェアユースを念頭に置いた、柔軟性のある権利制限規定が必要。
【本文】
文化審議会著作権分科会の報告書を受けて、デジタル化やネットワーク化の進展に対応する柔軟な権利制限規定が各所で議論されているようである。イノベーションの創出や情報通信技術の発展を視点に入れた、従来の著作権法よりも抽象度の高い権利制限規定を導入しようとしている点は評価できる。
ただしデジタル化やネットワーク化による著作物の利用について、それが多様化したのは決して企業だけではなく、一般ユーザーにも大きく関わるものである。対してこれまでの知的財産制度の改正は、権利者を一方的に保護するものであり、消費者やインターネットユーザーの表現の自由や情報機器の利便性を一方的に損ねるものである。著作権の保護と利用のバランスを取る上では、柔軟な権利制限規定は単なる産業振興策ではなく、言論の自由を担保し、教育やエンタテインメント、ユーザーによる技術検証・改善に資するものであるべきである。特に利用者が自身で使うハードウェアやソフトウェアを解析したり、その上で自由なソフトウェアを動かしたり、自身で修理したりすることができる「いじる自由(Freedom of Tinker)」を阻害しない制度設計が求められる。
またデジタル化やネットワーク化による著作物の利用の促進をめざすのであれば、著作権法第三十条第一項第一号についても、制定された趣旨とは異なる形で解釈されることで、用途に関わらずインターネットサーバーが本条文の該当機器となるおそれがあることから、情報通信サービスの萎縮を生むことになっている。事業者だけでなく消費者やユーザーもサーバーをレンタル、あるいは自ら運用するような技術革新があるなかで、サーバーが本条文の該当機器から除外されることを明確にするなど、現実に即した形で本条文の概念が見直される必要がある。
残念ながら文化庁における議論については、メディア変換やタイムシフト・プレイスシフト、アーカイビングなどの消費者が求めるニーズに応えるものとなっていない。ついては知的財産推進計画として米国型フェアユースを念頭に置いた、柔軟性のある権利制限規定の導入を知的財産推進計画として示す必要があると考える。
国際通商協定交渉における知的財産権分野について
環太平洋パートナーシップ協定(TPP)の発効は非常に難しい状況となったが、現在も日EU経済連携協定(日欧EPA)やサービス貿易協定(TiSA)、東アジア地域包括的経済連携(RCEP)などの多国間での通商協定交渉が続いている。これらの通商協定においては知的財産分野についても交渉が行われているようであるが、知的財産権、特に著作権分野は貿易の側面だけでなく、人権や表現の自由に関わる重要な分野であることから、交渉については交渉中の序文はもちろん、会議についてもそれを公開し、ユーザーや消費者のようなステークホルダーも参加できるようにすべきである。
オープンデータのさらなる推進を
現在政府はオープンデータの推進を進めており、官民データ活用推進基本計画の下、自治体単位でも取り組みが進みつつあるが地方自治体や独立行政法人、交通機関など公共性の高い民間事業者、社会全体へとその動きを広げていく動きはいまだ弱い。また、より制約の少ないパブリックドメインのコンテンツを増やすことには政府のオープンデータ政策は取り組んでいない。米国連邦政府のように、公開されたコンテンツは原則パブリックドメインとし、それが難しい場合にはクリエイティブ・コモンズ・ライセンスや政府標準利用規約に代表されるオープンライセンスのもとで公開するように知的財産計画として方針を示すべきだ。
特にインターネットを利用した選挙活動が解禁された今、有権者がインターネットを用いて選挙に関する情報を集められるよう、政見放送をインターネットで見られるような取り組みを進めるべきである。また政見放送や国会審議などの公的なコンテンツ及び災害に関する報道などの公共性・緊急性の高い番組については、通常放送に掛けられているCASを外して放送することを義務化し、国民が利用しやすい環境の整備を進めるべきである。
また国費を使って開発されたソフトウェアや研究論文のオープンライセンスでの公開など、米国での先進事例についても知的財産推進計画として視野に入れるべきだ。
著作権について
わが国では、著作権の許諾権としての性格が強く意識されすぎている。著作権者に強力な許諾権があることは、企業がコンテンツを活かした新規事業に乗り出す上で不透明な「著作権リスク」をもたらし、企業活動を萎縮させる一方、ユーザーのコンテンツ利活用における利便性も損ねている。かつ、学界では、強力な許諾権があるからといって必ずしも著作権者に代価がもたらされるわけではないとする研究が有力である。このように、現状の許諾権としての著作権は、ユーザーの利便性と産業の発展を無意味に阻害していると言わざるを得ない。そこで、より高度なコンテンツ活用を目指すべく、著作権を報酬請求権として扱うようにシフトしていくべきであろう。
近年はICT技術やインターネットの普及に伴い、ユーザー=クリエイターという関係が強く見られるようになった。ユーザーのコンテンツ利活用における利便性を高めることは、新たに多様なコンテンツを生み出すこととなり、結果的にコンテンツホルダーにとっても利益になる。ひいては経済活動の活性化をもたらし、日本経済にも貢献することになる。なお、ハーバード大学では著作権の報酬請求権化についての研究が進んでおり、参考になる。日本でも、例えば著作権法上のレベルでは許諾権のままでも、産業界の自主的な取り組みとして、合理的な範囲で報酬請求権として運用することが可能である。産業界にイノベーションをもたらし、経済を拡大するために、政府は報酬請求権としての可能性の啓発に取り組むべきである。
「プロライツ」から「プロイノベーション」へ
今後の経済政策としてふさわしいのは、権利を囲い込み、墨守するだけの「プロライツ」ではない。権利を活かしてリターンを最大化する「プロイノベーション」の形を目指すべきである。安直なプロライツ(プロパテント・プロコピーライト)は結果としてイノベーションや競争を阻害し、ひいてはユーザーの利便性が向上する機会を損なう。ゆえに、コンテンツ産業戦略全般において、プロイノベーションという方針を明記し、それに従った具体策を策定すべきである。これからの時代のコンテンツの利用や創作は、それを鑑賞するためのイノベーションと不可分である。ユーザーの利便性を高めてコンテンツを活用していくためには、イノベーションを阻害しないことに最大限留意すべきである。
政策立案プロセスへのユーザー代表の参加
知財戦略としての政策目的を促進するためには、公的な議論にユーザー代表が参加する必要がある。業界内やコンテンツホルダーとの間の短期的な利害対立に対する政府の調整能力は、既に限界にきている。一方、ICT産業やコンテンツ産業の一部においては、ユーザーの利便性への要求が産業を成長させてきた。特に近年では、ユーザー生成メディアが莫大な利益を生み、あらゆるコンシューマビジネスがこれを取り入れつつあることは周知のとおりである。このようにユーザーの利便性を高めることが産業界のイノベーションを産み、コンテンツの利用の拡大をもたらすことに鑑みれば、技術やコンテンツの利用態様に明るいユーザーの代表が知財政策で強く発言していくべきである。
著作権侵害の一部非親告罪化
わが国には二次的著作物やパロディに関する法制度が存在せず、司法では二次的著作物やパロディは著作権侵害と判断される。しかし現実には二次的著作物やパロディによる作品が数多く存在しており、今やそれらは日本の文化の一翼を担っている。そしてこのわが国独自の個性豊かな文化は世界に向け発信され、世界から共感を得ている。これは「クール・ジャパン」の源泉となっている。このような文化が熟成されたのは二次的著作物やパロディについて、その制作者と原著作者との間に信頼関係があり、著作者が黙認していたことに由来する。ただし二次的著作物やパロディを公的に紹介できない現状は、形式的な権利保護が却って文化の進出を阻害しており、国益の損失となっている状況を認識する必要がある。
上記の現状を踏まえた上で、著作権侵害が非親告罪となれば、信頼関係に関わらずあらゆる二次的著作物やパロディが刑事告訴の対象となり、パロディ法制などのないわが国においては「クール・ジャパン」の源泉となる文化が崩壊する結果となり、国益を害する。
また著作権侵害が非親告罪となることで相対的に捜査機関の権力が増大し、これまで社会的に容認されていたような軽微な著作権侵害においても、著作権侵害を理由に捜査機関が逮捕することができるようになる。そもそもインターネットでダウンロードされたファイルが違法なものかどうかは、技術的・外形的に判断できないという根本的な問題もあり、これは別件逮捕などの違法な捜査を助長するおそれがある。
アクセスコントロール回避規制
わが国では2012年10月の著作権法の改正によって、DVDなどにかかっているアクセスコントロール技術を回避しての複製行為が違法となった。これに対してTPP協定にはアクセスコントロールを回避する行為自体を規制する条文が導入されている。しかし無条件のアクセスコントロール回避規制は、ユーザーによるコンテンツのアーカイブを不可能とし、国民の正当なコンテンツ利活用を妨げる。またアクセスコントロール回避規制はわが国のICT技術の発展を不当に妨げ、ひいては日本製品の競争力をも損なっており、それに対する手当は一切なされていない。
アクセスコントロール回避規制によって、権利者に不当な損害を与えない「視聴のための複製」が不可能となっている状況は看過できない。また本来著作権法で認められている範囲での映像の引用が不可能となっており、それによって技術批評や映像に関する教育が難しくなっている。また自身の使う機器やソフトウェアの安全性チェックや、イノベーションを促進する「いじる自由」(freedom of tinker)を害している現状がある。また技術の互換性や相互運用性を担保するうえでもアクセスコントロールの回避が必要となる場合がある。
近年の技術進歩は急速であり、今後自動車や家電など、従来はそう見なされていなかった機器でもコンピュータ化、ネットワーク化、ブラックボックス化が進む可能性がある。また技術革新に伴って、コンテンツの新たな用途や利用形態が開拓されることもある。これらに伴い、アクセスコントロール回避の新たな形態が求められるようになる可能性は非常に高いと考えられる。
特にコンテンツの視聴のためであっても、オープンソースソフトウェアの利用を制限する現状の制度は、コンテンツ利用促進の観点からも負の影響が大きく、早急に手当が必要だ。またコンテンツの批評や引用など、著作権法で認められた用途においても著作物を利用することができない状況を解決する必要がある。ユーザーが購入したコンテンツを長く、そしてオープンソースソフトウェアによっても利用できるように規制のあり方を再度検討すべきであり、よって、柔軟かつ定期的に適用除外規定を追加できるような仕組みを考慮すべきである。さらにアクセスコントロール回避行為自体を違法とすることは、上記で述べてきた行為を現状行っている人全てを違法状態に置くこととなり、実効性がない。
著作権の切れた出版物のインターネット上での速やかな公開
アメリカ議会図書館や欧州委員会のEuropeanaは、パブリックドメインとなった書籍・映画・音楽等のアーカイブ・オンラインでのデータ配信に熱心である。著作権が切れパブリックドメインとなった著作物は、速やかに全国民が利用しやすい形態で提供し、我が国の文化の向上に資するのが、文化を担う行政機関の責務である。
我が国には著作権が消尽し、文化的意義が大きいにも関わらず、鑑賞・閲覧の困難な戦前の作品が多数存在する。市場性が薄くなり著作権も切れた作品については国が主導して保存・公開する必要性が高いにも関わらず、こうした点についての現状認識・問題意識が乏しいのは大変遺憾である。
また我が国では著作権の切れた書籍について、権利を持たない者の申し出によって国立国会図書館ウェブサイト上での提供が一時凍結されたことがある。今後このような不必要な配慮を行わないよう知的財産推進計画に明記することを求める。
アーカイブされた放送番組の権利処理にオプトアウトの考え方を
放送番組のアーカイブ化およびその一般利用は、2003年のNHKアーカイブス設立をきっかけに本格的にスタートした。当時から実践されてきた権利処理のモデルは非常に厳格なものであるが、これが後々他の事業者の権利処理のモデルとなった。だがNHK基準の厳格な権利処理にかかるコストでは民間事業は成り立たず、事実上の参入障壁となっている。
権利処理のうち、膨大な人件費がかかっているのは肖像権の処理であり、特にタレントなど契約によって出演契約が行なわれた者ではない、映像に収められた一般市民の権利許諾が大きな負担となっている。
我が国においては、肖像権は明文化された権利ではなく、判例によって一部パブリシティ権などが認められた例があるに過ぎないが、一般市民の間では過剰に権利を拡大して解釈する傾向が強まっているのも事実である。
このようなバランスを考慮し、収蔵された放送番組の利活用においては、研究および教育利用に限定した上で、オプトアウトで始めたらどうか。その課程で人物の特定および権利処理の手がかりが掴める可能性もあり、事業者の権利処理の負担が軽減できる。アーカイブは、蓄積しても利用されなければただの死蔵であり、利用開始が長引けばそれだけ資産価値を減少させ続ける結果となる。放送番組のアーカイブ利活用については、最終的には国民の直接視聴に繋がることを睨みつつも、資料としての価値を優先する形で、現実的な手段を検討すべきである。
ACTA(模倣品海賊版拡散防止条約)について
知財戦略としての「模倣品・海賊版の拡散防止」という方向性には賛同する。しかしACTAはその目的から大きく逸脱したものであり、国内外から批難を浴びた。特に「HELLO DEMOCRACY GOODBYE ACTA」のスローガンのもとに、ACTAが欧州議会において大差で否決されたことを政府は厳しく認識すべきである。ユーザーの知へのアクセスを阻害し、また不透明なプロセスで批准が進められたACTAの発効の推進は、日本から見ても、そして交渉参加国から見ても知的財産戦略としては誤りで、知財計画に掲載すべきものではない。
違法ダウンロード刑事罰化について
2012年10月の著作権法の改正によって、インターネット上に違法にアップロードされた音楽や映像を、そのファイルが違法であると知りながらダウンロードする行為について刑事罰が科せられる(いわゆる違法ダウンロード刑事罰化)こととなった。本改正の付則として定められた事業者による教育・啓発活動の義務規定や違法ダウンロード防止への努力規定による取り組みが進められているとはいうものの、これは「インターネットでダウンロードされたファイルが違法なものかどうかは技術的・外形的に判断できない」という根本的な問題をクリアできるものではない。
また本法改正は文化審議会での議論を経たものではなく、音楽事業者や映像事業者を中心としたロビイングによって進められた。国会による議論もほぼなく、一方的に議員立法によって進められたこの改正のプロセスは大きな問題を抱えている。このように政府による知財計画や文化審議会での議論を無視し、業界団体のロビイングに唯々諾々と賛同し進めてしまったことは今後の知財戦略を考える上で大きな負の遺産を残した。
違法ダウンロード刑事罰化が本質的に抱える問題、そして政府や審議会の決定を無視したプロセスで利害関係者の一方的な要望が通ってしまった問題から、違法ダウンロードの刑事罰化については白紙撤回し、知財戦略本部や文化審議会における議論を行うべきである。
諸外国においても、ダウンロードなどをしている個人の摘発を行うよりも、大規模な海賊版サイトをこそ摘発すべきであるという方向に移りつつある。いわゆるスリーストライク制度を導入していたフランスにおいても、既にダウンロード者に対する処罰は法改正で削除されており、警告と違法アップロード者への処罰だけとなっていることにも留意すべきである。
電磁的な一時的複製の規制
著作物を一時的に電磁的なかたちで記憶装置に複製する行為についても複製権の対象とし、許諾なく電磁的な一時的複製を行った場合も著作権侵害とするような枠組みの策定が議論されている。しかしわが国は電磁的な一時的複製を著作権侵害とする要求を受けいれるべきではない。また国際的な経済連携協定に電磁的な一時的複製を規制する条項が入ること自体に強硬に反対すべきである。
現代のコンピュータはプログラムとそのプログラムが処理するファイルの一時的な複製をメモリーに自動的に作り続けることで動作する。またインターネットの利用においては、ネットワークから受け取ったデータを先読みしてメモリーにバッファしておくことで大容量のストリーミングコンテンツを快適に利用することができる。また一度見たウェブサイトのデータをストレージに一時的に保存しておくことで、高速なウェブサイトのブラウズが可能となり、またトラフィックの軽減につながるため、ネットワーク資源を有効に活用することができる。このように電磁的な一時的複製は情報技術を支える基幹の技術だ。電磁的な一時的複製を規制することは情報技術の実際と大きくかけ離れており、全く現実的ではない。